ボリビア名所と迷所?


スクレの町並み

古都スクレの恐竜の足跡ツアー

 南米大陸のほぼ中央に位置するボリビア共和国。南米の中でもインディヘナと呼ばれる先住民が特に多く、最も南米を象徴しているといわれるこの国は、国土の三分の一をアンデス山脈が占め、主要都市の約半分が標高二〇〇〇mから四〇〇〇mに位置する「アルティプラーノ(高原地帯)の国」として知られている。
 ボリビアには五つの世界遺産をはじめ興味深い観光資源が多数あるが、一般的な観光地というよりもちょっと変った観光地を紹介したい。【塩畑敏明】

ボリビアの古都スクレ

 町全体がユネスコの世界遺産にも登録(一九九一年)されている古都スクレは、プラザ(広場)を中心に碁盤の目状に築かれた町並みと、条例で白く塗ることが義務付けられた建築物が太陽の光を浴びて輝く美しい町だ。
 標高二七六〇m、アルティプラーノの国ボリビアでは最も過ごしやすい気候であるといわれるこの町は、一六世紀にポトシで大銀脈が発見されると、その銀を管理するためのラ・プラタ市がスペインからの植民者によって造られ、行政上の重要な土地となってゆく。スペインから独立した一八二五年、ボリビアという国名が独立の英雄シモン・ボリーバルから、スクレという町名が初代大統領ホセ・デ・スクレの名から命名されボリビアの首都に制定されると、政治の中心として華やかな時代を迎える。しかし、ポトシでの銀ブームが終焉を迎え、二〇世紀に入ると政府の行政機関のほとんどがラ・パスに移管してゆき、町は次第にその華やかさを失っていった(憲法上の首都は現在でもスクレだが行政上はラ・パスが首都となっている)。
 現在では銀のもたらした財力を注ぎこんで建てられた美しく重厚な建築物の数々が活況に満ちた時代の面影を色濃く残すものの、町はひっそりと落ち着いた雰囲気を保っている。日本で例えるなら京都といったところだろうか。「古都」という形容詞がぴったりとくる町である。
 スクレの観光地は、スペインからの独立宣言文の調印が行われた「自由の家」、「カテドラル」に代表される植民地時代に建設された教会や修道院、ボリビアの代表的な織物を展示、販売する「織物博物館」などを歴史ある町の景観を楽しみながらゆっくりと歩いて周るのが一般的である。
 もちろん、これだけでも充分魅力的な観光地であるのだが、ここ数年、注目を集めているのが恐竜の足跡を見学する観光ツアー。

恐竜の足跡ツアー

 恐竜の足跡が残されているという場所はスクレ近郊、標高三〇〇〇mの中央アンデス地域「カル・オルコ」。その足跡は一九九四年、ボリビア国内のセメント会社の石切り場で発見され、現地の専門家により恐竜の足跡であることが確認されている。
 その後、一九九八年六月から八月にかけて先史学者・クリスティアン・メイアー教授を中心としたグループが行った科学的な調査により、その恐竜はおよそ六五〇〇万年前にペルー、ボリビア、アルゼンチンの北部に生息していたものであるという結果が出されており、二五〇〇〇uの広大な岩壁には、三二〇種類もの異なった恐竜の足跡が五〇〇〇以上も残されているといわれている。
 恐竜の足跡を見学するツアーは月曜日から土曜日の午前一回、午後二回の一日三回行われている。町の中心五月二五日広場に面して建つカテドラル前が集合場所。目印は荷台が座席になっている赤いトラック。参加者はこのトラックの荷台(二台には座席が設けられている)に乗り込み見学場所であるカル・オルコにあるセメント会社の石切り場へ向う。約二〇分で目的地へ到着すると、受付を行う小屋でヘルメットを渡たされツアー開始。ガイドは、最初に恐竜の足跡が発見された経緯、何年頃に生息していた恐竜の足跡であるかなどを、受付小屋の外にあるプレートや恐竜のフィギュアを使って説明する。説明の後、参加者はいよいよ恐竜の足跡が残っているという広大な崖の下へと案内される。時折トラクターが砂埃を舞い上げながら走り去ってゆく道を二分ほど進むと、二五〇〇〇uあるという崖の真下に出る。遠めに眺めるのとは違い、巨大な壁が自分目掛けて迫ってくるような迫力ある崖だ。
 ガイドは手のひらサイズの鏡を携帯しており、その鏡に太陽の光を反射させその巨大な壁に残るネズミのはったような窪みに光をあて、それらが恐竜の足跡であることを案内する。そして、予め用意しておいた恐竜のデッサンを参加者に見せながら、足の形、大きさなどから推測された恐竜の名前や体長などを説明する。
 四、五箇所のポイントを案内した後、最後は映画などによく登場するティラノザウルス・レックスの足跡のあるポイントへ。この足跡は、手が届く場所にあり参加者が直接触れることもできるので、記念撮影をするにはもってこいの場所である。そこで各自が写真撮影をしてツアーは終了。所要時間は約二時間。
 近代ボリビアの華やかな歴史の一ページを彩った古都の風情を堪能しつつ古代ロマンを掻き立てる恐竜の足跡も見学できるスクレは一粒で二度おいしい観光地である。


恐竜の模型

恐竜の足跡

ツアー参加者

ツアー・バス??

ポトシの町並み

ポトシの鉱山ツアー

 スクレから東へ一六五q、世界でも稀にみる鉱山の歴史を持つ町ポトシで行われている「鉱山見学ツアー」の紹介。実際に「セロ・リコ(富の山)」と呼ばれる鉱山の中に入って採掘作業を見学する、ちょっとハードなツアーだ。

鉱山の町ポトシ

 標高四〇七〇m、世界で最も高い位置にあるボリビア南部の町ポトシは、一五四五年に大銀脈が発見されたことにより栄華を極めた鉱山都市として有名である。セロ・リコ(富の山)と呼ばれるほど銀や錫が豊富に採掘されたポトシは、一五五三年には当時のスペイン国王カルロス五世より「帝国都市」と名付けられる。その銀や錫によって生み出された富により一六五〇年には実に一六万人もの人口を擁する大都市として発展を遂げた。これは当時のパリ、ロンドンよりも多い人口を擁していたといわれており、その繁栄ぶりは「ポトシの銀でマドリッドまでの橋が架けられる」「キリストの聖体日には街路が銀の延べ板で覆いつくされ、馬の蹄鉄までもが銀で作られていた」といわれるほどであったという。
 しかし、鉱山事業が下火になると、銀の発掘のみに地道を上げていたスペイン人たちは次々とこの地を立ち去り、あとは寂れた町だけが取り残されることになる。
 二〇世紀に入り、セロ・リコの地下資源が再び見直された現在、町は次第に活気を取り戻しつつある。

鉱山見学ツアー

 さて、ポトシで何を見るか。スペイン文化と先住民文化の融合が顕著に表れ、三〇以上もの古い教会があることで知られる旧市街(一九八七年世界文化遺産に選定)、セロ・リコで採掘された銀を貨幣に鋳造するために建てられ、現在は南米でも最も重要な博物館のひとつといわれる「旧国立造幣局博物館」などが一般的な見学箇所である。しかし、ここは鉱山の町。「鉱山見学ツアー」にチャレンジしてみた。
 自身も鉱山で働いているというガイドと一緒にツアー会社が用意した四輪駆動車に乗り鉱山へと向かう。町の中心からは10分ほどの距離だ。その前にガイドは鉱山労働者が山に入る前に準備しておく備品を売っている店へ立ち寄った。ヘルメット、長靴、懐中電灯、アルコール、コカの葉、乾燥させたキノア、煙草などが売られており、ガイドが一つ一つ使い方を説明してくれる。鉱山の周辺にはこういった備品を売る店が集中しており、ここが鉱山の町であるということが実感される。ガイドが「鉱山労働者のお土産として持ってゆくとよい」というのでコカの葉、煙草、乾燥させたキノアなどをビニール袋に詰めた一式を購入。再び車に乗り込み、鉱山の入口へ。
 入口へ到着すると、服が汚れるからと車に積んであった赤いヤッケの上下、長靴、箱型のバッテリーが付いた懐中電灯、黄色いヘルメットを渡される。それらを装着することにより、いよいよ坑道の中へ入る準備が整う。ガイドははじめに「入口に積んである採掘された鉱石には鉛、亜鉛、錫、銀などが含まれている」と説明。その後、入口の上部にある黒い染みの付着している十字架を指してあの黒い染みは安全を祈願して生贄としたリャマの血を塗ったものだと言った。
 そして、遂に坑道の中へ。中は暗く誇りっぽい。饐えた臭いが漂っている。小さな懐中電灯を手に持ち、ガイドの案内で奥へと進んでゆく。腰を屈めなければ通ることができないような狭い通路、所々に大きな穴があいている坑道内は気をつけて歩かなければならない。標高四〇七〇mのポトシは当然、空気が薄く息苦しいが坑道の中はそれに輪をかけて息苦しさを感じる。
 途中、採掘された鉱石を積んだ荷車を押している若い労働者と何度かすれ違い、その中の一人が息を切らせながら近寄ってきた。ガイドは鉱山へ来る前に買ったコカの葉や煙草の入ったビニール袋からコカの葉を両手いっぱいに取り出し、その若者に渡してやる。若者はポケットにそれを押し込みその中から数枚をつまんで口の中に放り込む。奥歯でコカの葉を咀嚼しながらニヤリと笑い、ほっとした表情で「グラシアス」とひとこと残し仕事へ戻っていった。
 少々頼りなげな懐中電灯の細い光をかざしながら進んでゆくと、坑道内の奥深くから採掘された鉱石を桶に入れて引き上げるためのリールが設置されていた。リールは手動式。ガイドが鉱石の入っていない桶を巻き上げて見せてくれたが、これに鉱石をいっぱいにしたらかなりの重量になるだろう。
 更に奥へ進むと、突き当たりに大きな穴が開いている。ガイドが手招きするので中を覗いて見ると、二人の男性が岩の壁に掘削用の鉄棒を金槌で打ちつけていた。その手を休めて穴から出てきた二人にもガイドはビニール袋に入ったコカの葉を分けてあげ、「機械で掘れればいいけど足りません。こうやって、みんな手で掘っているんです」と採掘している格好をしてみせた。
 懐中電灯のバッテリーが切れてしまったガイドは、作業の手を休めて出て来た二人のうちの年配の方の労働者が持っていたカンテラを借りて再び歩き出す。六〇歳を越えているというその老人と一緒に鉱山の守り神だというディアブロ(悪魔)と大地の神・パチャママを奉ってある場所まで案内してくれた。
 そこで、ガイドはディアブロの周りにコカの葉を撒き、煙草を口に挿し、アルコールを振りまく儀式を執り行った。そして、自身もアルコール(酒ではなく度数が九〇%以上もある本当のアルコール)を口にする。パチャママにも同様の儀式を行ったあと「こうすることで働く人達の安全を祈るのです」と説明した。通ってきた道を引き返し外に出たところで鉱山ツアーは終了(所要時間約二時間)。
 鉱山で働いている人たちを見ることができる貴重な体験ツアー。しかし、標高四〇〇〇m以上の高所であり、鉱山の中は結構歩くので体力が必要。


セロ・リコ鉱山

鉱山ガイド

炭鉱夫

鉱山入山グッズ

道中の景色

世界最大の塩の湖

 ボリビアで一番有名な観光地「ウユニ塩湖」。世界中の観光客が集まるこの世界最大の塩の湖は、鉱山の町ポトシを起点とすると車で約五時間の場所。塩湖自体の素晴らしさもさることながら、ポトシ、ウユニ間のアルティプラーノ(高原地帯)の美しい景観も見逃せない。

ポトシからウユニへ

 ポトシの町を通り抜け、セロ・リコ(鉱山)周辺に差し掛かると「UYUNI」と書いた立看板が視界に入る。ここからウユニまでは一本道。所要約五時間の道のりだ。
 未舗装の道を砂埃を巻き上げながら走る4WDはやがて山間の道に入ってゆく。山の斜面に沿って続く道はちょうど車二台がすれ違うことができるほどの狭い道だ。車窓から外を眺めると、標高が高いせいもあるのだろう、どこまでも続く青い空は澄みわたり、輝きを増したように見える太陽は下界に向かって強い光を照射する。普段、都会で暮らす人ならばこの景色を見るだけで開放感を感じることだろう。
 一時間半ほど走ると、今度は切り立った岩が連なる谷間が五分ほど続き、ここを過ぎると、曲がりくねった山道から遠くに山々を望む広々とした道が真っ直ぐに延びてゆく。この道に沿って流れているはずの川は乾期の今は干上がっており、所々に小さな水溜りを作っているにすぎないが、雨期には川の水が氾濫し道を塞ぐこともあるという。
 途中、背の低い日干しレンガで出来た家が建ち並ぶ集落が見えてきた。Chaquilla(ケチュア語で足という意味)という名のこの村では、リャマの飼育、キノア、ジャガイモなどを栽培して生計をたてるといった自給自足の生活を送っているそうだ。しかし、この時、村には人の姿はほとんどなく、飼育されているリャマが一、二頭、辺りをぶらついているだけであった。
 Chaquilla村を過ぎたところで、思いもかけずリャマの群れと出会った。その群れはこちらがカメラを持って近づいても動じるそぶりは全くない。私たちの乗った4WDの方を振り向き数秒見つめただけで後は興味を失くしたようにゆっくりと通り過ぎていってしまった。咄嗟に構えたカメラのファインダー越しから見たリャマの群れは青い空とアンデスの山々をバックにまるで一枚の絵葉書のように美しい。
 二つの山の間に向って一直線に延びる道を暫く走ると、右方向に白い大地が見えてきた。
ドライバーに尋ねるとこれも塩だという。彼は雨期に降った雨が乾期になり太陽の光で水分を蒸発させ、土に含まれていた塩分が地表へ浮き出てくるのだと説明した。
 道はだんだん狭まってゆき、再び山道へと入ってゆく。サボテンが生える赤土の山に沿った道で、ポトシを出発してからちょうど二時間三〇分が経過しようとしていたが、車窓からの景観が変化に富んでいるため全く飽きを感じさせない。
 山道を抜け、広い道に出たところで休憩のために4WDから下り、胸一杯に深呼吸してみる。新鮮な空気が肺いっぱいに広がるようだ。真夏のような強い日差しが照りつけるが乾燥した空気はひんやりとして気持ちがよい。
 Palkaという村を過ぎ、比較的緩やかな上りと下りが続く山道へ入った。その山道を抜け、再び小さな村を通過する。道が赤土に変化したかと思うと、今度は禿山に囲まれた砂漠のような道に出た。そこには「Km一四五」の標識。これはポトシからの走行距離をあらわしている。
 左前方、一〇〇mぐらいの距離があっただろうか、ビクーニャが草を食んでいる様子が視界に入る。ビクーニャは生息数が少なく保護動物にも指定されている希少価値の高いめったにお目にかかれない動物だ。4WDの窓から身を乗り出しカメラを構えるが、砂と砂利の道は揺れが激しくカメラ位置が定まらない。そうこうしているうち、シャッターチャンスを逃してしまい、ビクーニャも走り去ってしまった。
 暫くして見晴らしのよい一本道にさしかかると左手前方の山間からうっすらと白い大地が見え隠れしはじめた。そこから山道に入り三〇分ほど車を走らせると突然視界が大きく開け、数キロ先にうっすらと白線を引いたようなウユニ塩湖の全貌が広がった。
 その地までは、あと、もう一息だ。
 そこから更に一〇分ほど4WDを走らせると、民家や商店が軒を連ねる町中へ入っていった。ウユニの町である。ウユニの人口は約一万人。この町に住む人たちは、アルゼンチンやチリとの貿易を担う鉄関係者や塩に関係する仕事に従事する人たちがほとんどだ。観光客を受け入れるためのホテルやレストランもあるが、その規模は小さく、世界的に有名な観光地とは思えないほど静かで小さな町である。

塩のホテル

 塩湖までは町から更に三〇分ほど車で行ったところだ。ポトシから来る観光客はウユニへ到着後、町のホテルか塩湖の中にある「塩のホテル」に宿泊し、翌朝、塩湖の観光を行うのが通常だ。
 町からは塩湖は見えない。それゆえ、塩湖の中に建ち、建物や調度品の全てが塩で出来ているウユニならではの「塩のホテル」に宿泊したいと望む観光客は少なくない。この「塩のホテル」はこれまで二軒しかなかったが、最近、三軒目がオープンしたことを聞き、今回はその新しい塩のホテル「LUNA SALADA」へ宿泊することになった。以前からある二軒の「塩のホテル」は、規模が小さく、バス、トイレは共同、暖房設備も整っていないといった、ホテル自体はお世辞にも快適とは言えないものであった。それらに比べると新しくオープンしたこの「LUNA SALADA」は全室にバス、トイレ、暖房設備が完備しており、レストラン、バー、遊技場もある本格的なものとなっている。
 塩のホテルに宿泊したいと考える観光客は、建物から調度品に至るまで塩でできているホテルが珍しいということだけではなく、そのロケーションにも魅せられる。広大な白い大地をゆっくりとオレンジ色に染めながら沈む夕日、強い光を発しながら力強く上昇してゆく朝日は美しく見る者の心を和ませる。静寂に包まれる夜、月明かりに薄ぼんやりと照らされた塩湖にたたずみ見上げる満天の星空は幻想的で、どこか宇宙を連想させる。

塩湖ツアー

 午前9時、私は昨日に引き続き4WDで迎えに来たドライバーとともにホテルを出発した。霜が降りたような、白と茶のまだらな大地を5分ほど走ると、突然、真っ白な大地が視界に広がる。まるでスキー場にでもいるような錯覚さえおこさせるその大地が、全て塩で覆われているとはにわかに信じがたい。精製所に運ぶためだろう。三角に盛られた塩の山が、ところどころで目に付く。その白い山に降り注ぐ太陽の照り返しは強く、目が開けられないぐらいに眩しく輝いている。空の青と塩の白が渾然一体となった様は、地球以外のどこか違う星にでもいるような不思議な空間だ。
 私を乗せた4WDは、どこまでも続く白い大地を猛スピードで失踪する。ときおり横並びになったフラミンゴの群れが地面スレスレを低空飛行で飛んでゆく姿が見えるだけで、そこには人も車もほとんどいない。
 最初に到着したのは、HOTEL PLAYA BLANCAという昔からある「塩のホテル」で、このホテルは塩湖ツアーの観光箇所の一部となっている。宿泊客は、バックパッカーの若者たちが多いらしい。
 「塩のホテル」を10分ほど見学した後、4WDは塩湖の中にポカリと浮かんだように存在するISLA DEL PESCA(魚の島)へ向かった。この島は、その全景が魚のような形をしているため、その名前が付けらたそうで、島全体を覆うようにしてインカの人々が植えたといわれるサボテンが生えている。
 小高い島の頂上に登り、塩湖を見渡すとその広さに圧倒される。遠くには、現在は活動を休止しているトゥヌパ火山がうっすらと霞んで見える。
 簡単な昼食を摂った後、ISLA DEL PESCAを出発し、塩湖の中にある村へ。この村にはアドベ(日干しレンガ)で作られた小さな家が数軒と教会がある。
 その後、4WDは塩の精製所へ向かった。
 精製所といっても、規模は小さくその作業は家族単位で行われている。その家の奥さんと思われる女性が精製の工程を説明してくれたのだが、塩に含まれている水分を飛ばし、ヨードを混ぜ、袋詰めにするまでの作業全てが人の手によるもので、家族全員が協力し合って仕事をしているのだそうだ。
 ウユニ塩湖ツアー最後の見学場所は、ウユニの町の近くにある「鉄道の墓場」と呼ばれる場所で、ここには利用されなくなった古い列車が放置されている。
 周辺には何もない広い大地に置き去りにされた錆の浮いた列車はどこか寂しげで、夕暮れせまる傾きかけた太陽に照らされたその姿は、哀愁さえも感じさせる。
 「鉄道の墓場」とはよく言ったものである。

 筆者は、その日の夜行列車で、ラ・パスより南東に230kmの町オルーロへ向かった(オルーロは、「カルナバル」で有名な町で、ブラジルのリオのカーニバル、ペルーのインティ・ライミの祭りに次いで南米三大祭りの一つに数えられている)。

 しかし、ボリビアの最近のツアーの傾向としては、ウユニにもう一泊して、翌日、車でスクレまで戻るコースが主流のようだ。
 列車は夜行で、エクスプレソ・デル・スルが、水、土の運行(ウユニ0:05発、オルーロ07:00着)。ワラワラ・デル・スルが、月、木の運行(ウユニ01:45発、オルーロ09:10着)。早くて新しいエクスプレソ・デル・スルのほうを利用する観光客が多い。
 現地旅行社によると、ウユニ、オルーロ間の車での移動は、道が悪く故障する車もあるので、あまりお勧めできないそうだ。


道中の村

道中の風景

ウユニの町

塩のホテル

ホテルの内部

ウユニ塩湖


ウユニの朝焼け

イスラ・デ・ペスカ

列車の墓場

 

 

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