マチュピチュ遺跡観光情報

不思議である。何故このような場所にこのような都市を創造したのか?何故20世紀に入るまで気付かれることなくひっそりとした眠りについていたのか?1911年、アメリカ人の考古学者ハイラム・ビンガムによって発見されたインカ時代の建築様式などが手付かずで残っている貴重な遺跡。クスコからウルバンバ川に沿って114km下り、400m上った頂上にある。下を流れるウルバンバ川は密林で覆われており、下からはその存在が確認できない。「空中都市」あるいは「失われた都市」と呼ばれる。マチュピチュから発見されたミイラのほとんどが女性だった。この遺跡から発掘された土器はきわめて少ない。これは何を意味するのか・・・ この遺跡が創造されたのはインカ9代皇帝のパチャクテックの時代だと考えられている。スペイン人の征服者フランシスコ・ピサロによってインカ帝国が滅ぼされたのは1533年。この都市が栄えたのはわずか100年足らずの間でしない。この都市の建造の目的は?想像の域をでないがこの都市は宗教教育を目的とし造られた都市ではないだろうか。それも一般民衆ではなく、身分の高い人たち(村長など)のである。全国から集められたエリートたちが一定の期間ここで教育を受け各自の村へ戻っていった。各自自炊するために鍋・釜は自前の物を使っていた。土器の出土きわめて少ないのはこのためではないだろうか。この都市には定住者はきわめて少なかったのだ。太陽の神に仕える神官と太陽の処女たち。この遺跡から発掘されたミイラの少なさがそれを物語っている。ここの出入りした人たちがしっかりした教育を受けた身分が高い人たちだったため、スペイン人の侵略者にこの神聖な都市の在りかがもれなかったのではないだろうか。想像すれば想像するほど不思議な都市遺跡である。そんなマチュピチュ遺跡の見所を紹介して行こう。この遺跡は1983年ユネスコの世界遺産に指定されている。

マチュピチュ遺跡の主な見所
農地管理人住居跡
入口から崖沿いを200m行くと農地管理人が住んでいたとされる住居跡。遺跡は農耕区域と居住区域に分けられるが、この住居跡は農耕区域に残された唯一の住居跡と考えられる。ここへ来る途中の石垣に突き刺さっている階段跡に注目。遺跡内にはこのような階段が多く見られる。住居跡を左に上って行くと段々畑の上には見張り小屋、葬儀の石がある。
アンデネス(段々畑)
石を積み上げて作られた段々畑のスケールには圧倒される。遺跡には500から1000人もの人たちが生活をしていたと考えられており、その人たちの生活の糧を生産するためには、農耕区域のみではなく平地のない場所の山の斜面のいたるところに段々畑を作っていたのだろう。
葬儀の石
農地管理人住居跡の手前を左に登り、段々畑の最上段にたどり着く。萱葺きの見張り小屋の裏に“葬儀の石”と呼ばれる不思議な石がある。3段の階段がついた石の上部は平らになっていて、生贄となる動物がこの上で命を奪われたのではないかと考えられている。
墓地
段々畑の最上段では、173体のミイラが見つかっており、そのうち150体が女性のミイラだった。
正門
墓地から居住区域へ向かって降りてゆく途中、農耕区域との境目の空堀を渡ると門がある。マチュピチュへの現在の入場門は観光用に作られたもので、ウルバンバ山中のインカ道を通って入ってくる人たちにとってはここが正門となる。門の内側の両脇に円筒形の石が回転するようにはめ込まれた凹があることから、両開きの扉が付いていたと思われる。
石切り場
正門を過ぎ、真っ直ぐに進んでゆくとゴロゴロと大きな石が転がっている石切り場に出る。マチュピチュ建設に必要な石はここから切り出されたとされている。石を切り出すための楔が打たれた跡がある石やコンドルの絵が途中まで彫りこまれている石なども残されている。
主神殿
石切り場を過ぎると「主神殿」「三つの窓の神殿」「神官の館」に囲まれている神聖な広場にでる。広場の北側にある主神殿は、幅8mで中央に4.5mの角石が据えられている。壁には17の台形の壁がん(壁のへこみ。何かを飾るためのもの)が並んでいる。裏手には中で声を出すと共鳴する壁がんを持つ宝飾室(生贄の控室)がある
三つの窓の神殿
神聖な広場の東側にある。インカの初代皇帝マンコ・カパックはタンプ・トコの“三つの窓”から誕生したという神話に由来するもの。マチュピチュの遺跡の中でも最も角の多い石が組み合わされた丁寧な造りの建築物で、“三つの窓”は夏至の日の出の位置を完璧に指し示している。
インティワタナ
宝飾室の脇の階段を上りきると居住区域の最高点に立つ。ここにインティワタナと呼ばれる高さ1.8mの大きな石が置かれている。そのほぼ中央にある高さ36cmの角柱の各角は東西南北を指しており、角柱の対角線上を冬至の日には太陽が通過することから太陽暦を利用していたインカの日時計だったと考えられている。
石臼
居住区には3つの入口がある家があり、中に直径60pほどの丸い石が2つある。ハイラム・ビンガムは儀式用の石臼と考えたが、日時計、宗教儀式用の天文鏡、柱を立てるための支えだったという説もある。
コンドルの神殿
居住区の右側に自然石を利用してつくられたコンドルの神殿がある。地面にはコンドルの頭部をかたどった平石が置いてあり、背後の二枚の巨石が広げた翼を表現している。巨石の上に石積みで造られた建物は拷問場、半地下部分は牢獄だったと考えられている。
太陽の神殿
コンドルの神殿を出て階段を上ると半円の美しい曲線を描く石組みの塔、太陽の神殿が見える。入口の下方にあるいくつかの小さな穴は、塔の中に飼われていた毒蛇の通路「蛇の通り道」(マチュピチュの発見者ハイラム・ビンガムが考え名付けた)といわれていたが、この穴は石の中で鋭角に屈折しており、蛇の通過は不可能であることが分かっている。
王女の宮殿
太陽の宮殿のすぐ横にあるのが王女の宮殿。遺跡内で唯一2階建ての建物である。インカ建築によく使われる外側に階段を付けたスタイルの建物で、頑丈な造りになっている。王女がこの建物の中に住んでいたかどうかははっきりしないが、重要な人物が居住していたことは間違いなさそうだ。
陵墓
太陽の神殿が建てられている大きな自然石の下は洞窟となっていて、入口には石で造られた階段状の壁がある。奥の壁面には壁がんが並んでおり、ミイラの安置所だったのではないかと考えられている。洞窟中央に立てられた墓石のような石の突起物があるためにここは陵墓と呼ばれている。
水汲み場
サイフォンの原理を知っていたインカ人たちは遠い尾根伝いに水を引いたといわれており、17の水汲み場を整備した。石に溝を刻んだ地下用水路や木をくり抜いて水管を作るなど灌漑技術に長けていたことが分かる。
インカの橋
見張り小屋から山の斜面にかかるインカ道を20分ほど歩くとインカの橋に到着する。インカの道の左側はそそり立つ壁、右側は断崖絶壁。橋は石を積み上げた道を突然とぎれさせ、そこに3本の丸太の橋を架けたもの。敵が攻めて来た時には丸太を落とし、その侵入を防いだといわれている。
インティプンク
葬儀の石のある場所からマチュピチュの山を正面に左側のインカ道を道端に咲く花を眺めながら約20分歩くと最初の石の門(見張り所だったといわれる)が現れる。さらに20分ほど上ってゆくと、インティプンクの遺跡に到着する。インカトレッキングを楽しむ観光客のための道でもあり、マチュピチュの全容が望めるため、その美しさを楽しむことができる。
ワイナピチュ山
マチュピチュ遺跡が写真で紹介される時、遺跡の背後に写っている山で“若い峰”を意味する。山の頂上からは遺跡そのものだけではなく、その周りの川や山々を望める360度の大パノラマが広がる。戻らない人をチェックするため、入口の管理人小屋で名前を書いてから登る。ここから落下した人もいるので注意が必要。入山時間は、6:00から16:00。往復で2時間程度。
月の神殿
ワイナピチュへ登る道の途中、「月の神殿まで1時間」の小さな看板があり、アップダウンの続く道を進む。自然石の下を利用して造られた石の祭壇、大きな石を積み重ねて造られた建築物がある。この道は通行禁止のことがあるので注意。
アグアス・カリエンテス (マチュピチュ村)
マチュピチュ観光へ行く列車の終点駅がある町。 トレッキングなど特別な場合を除いてはここからバスに乗り換えてマチュピチュへ行く。マチュピチュをゆっくり観光したい観光客のためのエコノミーなホテル、宿泊施設があり、駅の周りには土産屋やレストランも多い。 アグアス・カリエンテスとは「お湯」意味で、公共の温泉場があり観光客や一般の人たちも利用できる。
インカトレッキング
クスコとインカの秘密基地をつないだといわれるビルカバンバの山道の一部となっている33kmのトレッキングコース。 3泊4日をかけて歩くのが一般的でトレッキングの起点はオリャンタイタンボの先、km88駅。途中、8箇所の遺跡を見ることができ最高地点は4198m、キャンプする場所も3700mの高所。このトレッキングのハイライトはビルカバンバの最高峰サルカンタイを望む好展望。 104km地点からの1泊2日のコースもある。トレッキングのシーズンは乾期となる4〜10月。


 

 

Tel & Fax 51-1-447-7900
Add

Martir Olaya 169 OF. 804 Miraflores Lima, Peru

Email cantuta@cantutatravel.com
営業時間 月〜金 09:30〜18:00  土 09:30〜13:00 日・祝祭日休み