| 紀元100年から800頃に栄えたといわれる謎の地上絵で知られるナスカ文化。広大な平原(パンパ・インへニオ)に多数の、直線、図形、動物、魚、植物などの絵を空中からではないと見えないほど巨大に描いたナスカ人たち。これらはいったい何を意味しているのか?宇宙人説、星座を表すカレンダー説、鳥人説、この謎に魅せられた多くの人々によって様々な仮説が立てられた。しかし、確実にわかったのは、絵は平原を覆っている黒い石や砂をどけ、その下の白い地面を露出させることにより描かれていること。そして、年間を通してほとんど雨が降らない気候が地上絵を現在まで残したということぐらいである。ナスカ観光のメインは、この巨大な大地のカンバスに描かれた地上絵をセスナに乗って上空から見学する遊覧飛行ツアー。 |
| ナスカの主な見所 |
| ナスカの地上絵 |
1939年、アメリカのロングアイランド大学教授ポール・コソック氏により世界的に有名になった広大な平原に描かれた絵。空中からしか見ることが出来ない直線、三角形などの図形、動物、魚、虫、植物などがある。 地上絵が描かれた目的は現在でも明らかになってはおらず、農耕の時期を表す説、宇宙飛行士説など多くの仮説がたてられた。 ポール・コソック氏の研究を継ぎ、この地上絵研究に半生を捧げたドイツ人の数学者マリア・ライヘ女史は、地上絵はナスカ人たちのカレンダーだったと解いた。このマリア・ライヘ説が一番有力だと考えられている。 ナスカの地上絵のほぼ中心にはマリア・ライヘ女史が資財を投じて建設した観察展望台、ミラドールがある。また、マリア・ライヘが後年住んでいた家はマリア・ライヘ博物館となっている。 |
| アントニニ博物館 |
| アルマス広場から徒歩15分のところにある、1999年にオープンした博物館。美しい土器や織物が作り出されたナスカ文化。博物館では、ナスカ文化の人々が利用した楽器やサボテンで作られた縫い針など珍しい出土品が展示されている。また、水路や墓のレプリカも見ることができる。 |
| 墓地跡 |
ナスカの北30kmにあるナスカ時代の墓地跡。「ナスカの墓」と呼ばれ、吹きさらしの大地約1km四方に渡って白骨が散らばっている。中にはミイラや髪の毛が残っている頭蓋骨もある。これはワッケーロと呼ばれる盗掘者の仕業。ナスカの土器や織物が美しくコレクター間に高値で売買されるため、ワッケーロが跡を絶たない。ナスカの墓は、副葬品の土器やミイラがまとっていた織物などを持ち去った跡。 |
| パレドネス遺跡と水路 |
ナスカから車で10分のところにパレドネス遺跡がある。アドベ(日干しレンガ)で造られたインカ時代の遺跡で、クスコへ向かうチャスキ(飛脚)の宿だったといわれている。残念ながら、保存状態はあまりよくない。
この先、綿花畑の中を行くと、砂漠の中を流れる水路と、渦巻状の道の下に水の取り入れ口が現れ、ほとんど雨の降らないナスカの平原にきれいな水が流れている。これらはプレ・インカ時代に造られたもので、はるか遠くの川から地下に造った水路を通してナスカまで水を運んでいるという。地上にでるとすぐに蒸発してしまうため、取り入れ口は地表から数m下がった場所に造られている。渦巻状の道は水を汲むために降りてゆくためのもの。現在でも、ナスカに住む人々の農業に欠かせない水源となっている。 |